あるアメリカ留学生の徒然なる日々

アメリカ・カリフォルニア在住の日本人大学生が色々さらけ出すブログ

貞操と貞操観念の話 その2(下ネタ注意)

前回の貞操貞操観念の続きの話です。性的な内容もたくさん含みますので閲覧の際はご注意ください。

 

そもそも私の女子校は、なぜだか異性交遊が特に少ない校風でした。200人近く在籍する1学年のうち、彼氏なんている人は10人に満たず、彼氏ができようものならすぐに噂の的でした。

とは言っても思春期なので、アダルトは話をする機会は高校に入って増えていきました。周りの子は耳年増で、経験値は0でも、「お兄ちゃんの部屋にあったえろ本」の話や、「偶然閲覧したアダルトサイト」の話でなどで盛り上がりました。高校生にもなると私のなかの性自体への嫌悪感は若干ですが薄れていきました。

その一因が、父の部屋で見つけた成人向けの漫画の山でした。父は頭はいいはずなのですが、そういうものの管理が非常に甘く、(もしかしたら私たちが彼に無断で部屋に入らないという信頼をしていてくれたのかもれません…笑。ごめんね父さま)

巷では、年頃のお嬢様がお父様の所有するアダルトコンテンツを発見して嫌悪感が滾るとよく聞きますが、私はそうではありませんでした。

まず頭に浮かんだのは、「(内容をざっと確認して)よかった。世の中で罰せられるような内容の漫画やDVDはなさそう」というなんとも現実的な考え。

次に浮かんだのは、「実の父でさえこうなんだ。私が性的なことに興味を持つのだって自然だし、仕方ないことなんだ」という謎の安心感でした。

母に「はしたない、いけないこと」と教えられてはいたものの、当時の私は性的なことに関する興味は人並みに、もしくはそれ以上に持っていました。性欲とは少し違いますが、性的なことに関して、見たい、知りたいというよくわからない知識欲が湧いていたのです。それ以降、父の部屋に置いてある成人向け漫画を読んだり、(違法なので今は反省しています)18歳以上である、という項目にチェックを入れアダルトサイトの閲覧を行うようになりました。

 

ただ自分のことながら少し不思議なのが、「実際にセックスしてみたい」という欲は一切わきませんでした。おそらく心の片隅に、「してはいけないこと」「見るのと実際にするのは全く違う」という良心の呵責があったのだと思います。「何が何でも男の人とセックスしてはいけない」という新たに私の中で芽生えた価値観はこの後変な方向に拗れて行ってしまいました。

 

セックスはしたいと思うことはなくても、性的なことへの尽きない興味と、元から根っからの快楽主義的考え方、そして高校生になって自覚した恋愛感情のはけ口が見当たらず、自分で処理することを覚えました。

女子特有なのかもしれませんが、友人間で性的な話をすることはあっても自分たちの実体験などを話すことはまずなく、もしかしたら自慰なんてしているのは私だけなのかもとは思いながらも誰にも相談することはありませんでした。(一番耳年増な友人さえ、「エロは読んでもオナニーなんてしない!」と言っていました。真偽は確認しようがありませんが。)

 

自分では性生活(?)には満足していました。母の言いつけを破ることなく、知りたいという欲求は満たされ、漫画や動画の中で大人が溺れているセックスなんてものに頼ることもなく自分の生理的欲求は自分だけで解決解消できる、という変な自信すら持つようになりました。私は貞淑。まだ清いまま。処女なんて散らそうと思えばいつでも散らせる。でも、一度失った処女は取り戻せない。だから大事にしなくちゃ。

ある意味、母の厳しい性教育は功を奏しているようでした。