あるアメリカ留学生の徒然なる日々

アメリカ・カリフォルニア在住の日本人大学生が色々さらけ出すブログ

貞操と貞操観念の話 その3

そういえばこのブログのカテゴリーを、海外生活というものにも分類させていただいているはずなのに海外の話をまともにできていなくて申し訳ありません。現在の話が終わったら今度は大学の写真やより詳しい話もしようかしら…しばしお付き合いください。

 

先述したような価値観のもと、私の貞操観念はなんだかおかしな方向にこじれていきました。決定的だったのは高校卒業後のことでした。

高校卒業当時、私は高校の元クラスメートに見事なまでにゾッコンLoveという状況だったので、「彼氏なんてできないだろうし、欲しいとは思わないなぁ。新しく好きな人ができればいいけれど…自分のペースで行こう」というくらいの心境でした。実際、好きな人や気になる人は一向にできる気配がありませんでした。

高校生活終盤あたりから友人たちは塾で異性との関わり合いに慣れ、大学に入ってから今までの男性の不在を埋めるかのごとく彼氏を作っていく友人や、男遊びに走る友人も出てきました。また、高校を捨行し、留学先であった日本人の女の子の恋愛観を聞いて、驚いた記憶があります。彼女は今までに複数の方とお付き合いした経験があり、もちろん男女関係における全てを経験済みでした。同じ国出身なのにカルチャーショックを受けるとは思いませんでした。

 

そのうち、自分が取り残されている気になってきました。

 

高校の友人たちでさえも彼氏を作って、早い子なら男女の深い仲を築いているのに私はといえばいまだに過去に好きだった人を引きずり新しくいい人を見つけることさえかなわない。あんなに近かった友達が理解できない。どうしてそんなにすぐに好きな人が作れるの、どうしてそんなにすぐに大人になってしまうの。もう高校生の時みたいに性的なことに耳年増で、意味深に笑ったりすることは叶わない。みんな実際に経験してしまっているから。でも大人になったみんなの実体験は聞きたくない。汚い。嫌だ。穢らわしい。男の人に友達を横取りされて汚されてしまった。そんなバカなことすら考えるようになりました。

友達と国際電話しても、みんな異性の話ばかり。彼女たちにとっては大学生活を彩るキーパーソンでも私にとっては知りもしない、会ったことさえない赤の他人。私は友達自身の近況が聞きたいのにもはや彼女の全て=好きな人。私も理解しているつもりでした。恋をすれば、世界が全部輝いて見えるのに、その人のことしか見えない。毎日が楽しい。たとえその人が自分のものになっていなくても誰かに話したい。自慢したくなるのなんて、恋する乙女には珍しいことではないのです。それでも嫌でした。たまらなく嫌でした。純粋な嫌悪感と、私の勝手な嫉妬心が私の心を蝕みました。友達が女の子、というか、私の知り得ないただの雌になっていく。動物みたいに、キスしたいとか、彼に触れたいとしか言わない。私だって中学生の時からずっと誰かを好きだった。自分では抑えきれなくて、友達とこの感情を共有したかった。恋バナしたかった。でも、「レズって気持ち悪い」って仲のいい友達が私のことを知らずに言っているのを知っていたからできなかったのに、みんなは私がしたくてしたくて、それでもできなくて諦めたことを当然のことみたいにこなしていく。私だってずっと男の人を好きになるのに憧れていたのに。好きで女の人を好きになったわけじゃないのに。

周りの言っていることも理解できない。

私の方はというと、依然新たに好きな人などできないまま、私も大学生活がスタートしました(アメリカの私の大学は9月が新年度の始まりだったので、すこし遅れを取る形になりました)。今までと異なり、日々の生活の中に同じ年頃の男性がいるというのはある意味新しい経験で戸惑ったり慣れないこともありましたが、同時に、今まで同性と接してきたのと同じように接していました。

 

そんなある日、私には辛いことを、日本にいる高校時代の同級生から聞きました。

私が好きだった人に彼氏ができました。